【2】

 夢を操ることにもだいぶ慣れてきたある夜,夢に奇妙な店が現れた.夢でも現実でも,ぽつんと雑貨屋があると吸い込まれてしまう.ワンフロアの店内の,中央に木製のテーブル.机上には夏物のシャツや冬物のマフラーが並んでいる.そういえば,ぼくはどの季節にいるんだろう?
 テーブルを中心に,壁際を囲うような二段組みの棚上,さまざまな小物がそれぞれの存在感を主張している.ステンドグラスのランプ,アンティークもののフライパン,古い鍵,小さな篆刻,空色のオカリナ,南国のお香と西洋のマッチなど,いつかどこかで,いろいろなところで目にしたものが,ここに集まっている気がする.
「――やあ.来たんだね.お客さんは君しか来ないよ」
 雑多な物品に埋められた空間を縫って,声が届く.夢の世界で他人の声を聞いたのは,それが初めてだった.その声はあまりにも自然に響いて,ぼくは気に留めなかったのだが,それはびっくりするべきことだったのだ.品物をよけるように顔をずらすと,エスニック調の毛糸の帽子がみえた.視線を足下までずらしてもその調子は変わらない.ヒッピー的な雰囲気の女性だった.年上のような,だけど瞳をみつめていると年下のようにもみえた.
「仕入れてくれるのは君なのさ.君が感じた現実世界のイメージがここに発送されてくる,そういうわけさ」
 となると,彼女は何者なんだろう? そう思うが早いか,彼女は口を開く.
「どうかね? 君が作り出したキャラクターかって? そうである可能性も否定できないわけだけどさ,なんたって,ここは君の夢の世界だから.でも,たぶん違うと思うんだ.そういう風にあたしがそう確信しているってことが重要さ.確信させられるように作られているか?ということはどうでもいいのさ.どこにも存在しないどこかから,ここに来たんだよ,きっと」
 店主の少女は満足そうにしばらく微笑していた.
 仮想体と実体の狭間にあるような人物が面白いことを話しだす.ここまで凝った夢を作り出すまでに成長したということか.なかなかやるじゃないか,ぼくの無意識も.
「ところで,君は自分の夢を自由に操ることができる.そうさね?」
 まだ夢操作は練習中だよ.まあ,夢に対して,一般人よりもかなり立ち入った扱いが出来るようになったとは思うけど. 
「そう,言わば,精神飛行士ってやつさ.君は成長している.それは誰もが出来ることじゃないさ」
 この話し相手は,ぼくの思考そのものに反応してくる.なんだか奇妙な会話だ.
「飛行士にはね,保険を持たせてあるものなんだよ」
 保険? どういうこと? 
「例えば宇宙飛行士.宇宙での職務はぞっとするほど危険なものさ.想像してみるといい.ちょっとした事故でかなり残酷な死に方が出来てしまう.空気がなくなるまで永遠に宇宙空間をさまよう,とかさ」
 そういえば,そんなふうにSF小説の舞台から消えていったキャラクターが何人かいたっけ. 
「彼らには自ら安らかに死ぬ権利が与えられてる.それが慈悲ってものさ」
 彼女は微笑みの表情を崩さない.しばらくぼくらが黙っていると,ことん,と聞き慣れない音が響いた.ねじ巻き式の目覚まし時計が,我関せずとテーブルの一空間を占有している.針のついた時計も初めてだ.
「というわけで,ここにはこういうのがあるわけさ」
 彼女の声の先に目をやると,ピルケースに入った雨色の錠剤がテーブルにある.
「こっちの世界での自殺装置.まあ,ようするに目が覚めるってことだけど.普段なら自然に起きるのを待つしかない,そうさね.これがあればいつでも現実に還れる」
 そんな物騒な言葉を使わなくてもいいだろう.睡眠導入剤の逆の効果ってわけだ.
「まあ,そう言っても,私らは君と違って夢でしか生きられないからさ.ともかく,持っていくね? こっちの世界をもっと楽しめるようになるさ」
 テーブルでは,ボトルシップをかたどった銀色のやじろべえがゆっくり動いている.なんだか,ものがどんどん増えているような気がする.
「唇の裏側,奥歯の近くにカプセルを埋め込んでおく.いざ,というときは噛み切るといいさ.一回使っても,こっちに来るときにはもう一度セットしとくようにする.サービスさ」
 ぼくはとくになにも考えていなかった.夢の中でだんだん眠くなってきていたのだ.目が覚めるのが近いということだ.へんな話のようで,実はまともな話だったりするような……よくわからなくなってきた.
「代金は,そうだなー,君の財布の中のコインをいくつかもらっとくさ.こっちでは紙幣より価値があるんだ」
 取引完了の会話が終わるあたりで,ぼくの視界は壊れはじめた.ブラウン管をやすりで削ったように,世界は不鮮明になり,不自然に曲がっていく.ウォークマンの電池が切れたように時間はゆっくりに,音声は低くなる.そしてぼくは自分の視点が上にずれていくのを感じる.「これは,夢なんだ」完全に覚醒する瞬間に思うことだ.いままでのリアリティがすべて馬鹿らしいほどに薄れていく.

 ベッドを起きだし,小銭入れの中を調べてみると,17円.さて,きのうまではいくら入っていたのだっけ…….

 朝食の後,ほとんど無意識で歯を磨いていたのだが,ふと思い出して,舌で口内を探ってみた.なにもない.両方の頬を内側から噛んでみた.やっぱりなにもない.
 あまり眠くはなかったのだが,気になったので,午後になって少し眠ることにした.
 夢の中で頬に手を当てる.小さなビーズを口に含んだような感じがする.内側から舌で探ると,異物の感触がある.その小さな錠剤型の装置は,きちんと頬の外と内の間に収まっているようだった.
 ぼくは雑貨屋に立ち寄ってみたが,店主の少女はいなかった.誰もいない.「お客さんは君だけさ」と以前彼女は言った.どこにも存在しないどこかに戻ってしまったのだろうか.彼女の帽子や肩掛けバッグは,他の売り物と一緒に店先に並んでいた.
 雑貨屋で短い時間を過ごしていると,すぐに目を覚ました.買った品物が本当に届いてるかどうか確認するために午睡を取ったようなものだからね.

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