【2. 久遠時計店】

飾りガラスのはまった木製のドアを開ける.
線の細いというのか,奥行きがないというのか,不思議な存在感をまとった女性がすっと佇んでいた.無言.
あの,時計を買おうと思って,来たんだが.心の声で問いかける.
「……いらっしゃいませ」
彼女が少なくとも声帯機能を備えていることにほっとする.しかし,未だ微動だにしない.
小さな店内には彼女しかいないようだが,店主なのだろうか.
こういっちゃなんだが,素朴な時計みたいな魅力がある.ここがパン屋だったら毎日通っても良かったかな.そのうち微笑みかけてくれるようになるかもしれない.しかし,時計は毎日食べるわけにはいかない.
ガラスケースや壁面に並べられた無数の時計たち.ふと気づいたが,アナログの時計しかない.どの時計も,様々な角度で,違った時刻を表現していた.
一つ一つの時計を見ていると,彼らは自分自身の世界を確認するように,一心に働いているように見えた.
「あなたは……どの時刻が好き?」
どんな目覚ましのアラームよりも驚いた.しかし音声の発生源は無表情のまま.
「ああ,ええと,シンプルなデザインのがいいかな……」
「?」
彼女は11時くらいに首を傾ける.
「違う.時計ではなくて……二本の針は,時刻を表すために無数の角度を作る」
たしかにそうだ.不思議なことに,どんな時刻の時計をみても違和感はないな.どれも一度はみたことがあるからだろうか.さて,
「三時ちょっと前が良いかなあ.やっぱりお菓子が出てくるのはわくわくするし,夜の三時の深い感じも好きだね」
「……じゃあ,これ」
そう言って彼女は二時五十五分の腕時計を取り出し,両手に包んで差し出した.無言.
結局,俺はその時計を買った.
「この,時計店は……一人で?」
頷く.
「くおん.久遠時計店」

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